福岡地方裁判所 平成元年(ワ)2225号 判決 1992年3月17日
平成元年(ワ)第二二二三号事件原告
甲野一郎
平成元年(ワ)第二二二五号事件原告
株式会社新松
右代表者代表取締役
甲野二郎
平成元年(ワ)第二二二六号事件原告
白川工業有限会社
右代表者代表取締役
甲野一郎
右原告ら訴訟代理人弁護士
古賀和孝
右訴訟復代理人弁護士
林優
平成元年(ワ)第二二二三号事件被告
三井生命保険相互会社
右代表者代表取締役
鬼澤正巳
平成元年(ワ)第二二二三号事件被告
朝日生命相互保険会社
右代表者代表取締役
高島隆平
平成元年(ワ)第二二二三号事件被告
明治生命保険相互会社
右代表者代表取締役
土田晃透
平成元年(ワ)第二二二五号事件被告
第一生命保険相互会社
右代表者代表取締役
櫻井孝頴
平成元年(ワ)第二二二六号事件被告
日本生命保険相互会社
右代表者代表取締役
弘世現
右被告ら訴訟代理人弁護士
敷地隆光
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一原告らの請求の趣旨
(平成元年(ワ)第二二二三号事件)
1 被告三井生命保険相互会社(以下「被告三井生命」という。)は、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)に対し、金三億二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告朝日生命保険相互会社(以下「被告朝日生命」という。)は、原告一郎に対し、金一億〇〇一〇万四〇〇〇円及びこれに対する昭和六三年七月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告明治生命保険相互会社(以下「被告明治生命」という。)は、原告一郎に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
5 仮執行の宣言
(平成元年(ワ)第二二二五号事件)
1 被告第一生命保険相互会社(以下「被告第一生命」という。)は、原告株式会社新松(以下「原告新松」という。)に対し、金一億〇一四四万円及びこれに対する昭和六三年七月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
(平成元年(ワ)第二二二六号事件)
1 被告日本生命保険相互会社(以下「被告日本生命」という。)は、原告白川工業有限会社(以下「原告白川工業」という。)に対し、金三億六〇〇〇万円及びこれに対する昭和六三年七月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二請求の趣旨に対する答弁(被告らに共通)
主文と同旨
第二事案の概要等
本件は、各事件原告らがそれぞれの被告らに対して別紙保険契約目録記載一ないし七の保険契約(以下「本件各保険契約」という。)に基づき原告らの請求の趣旨記載のとおりの各保険金及びこれらに対する本件受傷発生の翌日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。
一争いのない事実等
1 本件各保険契約の締結
原告一郎は、被告三井生命との間で別紙保険目録記載一及び二の保険契約を、同朝日生命との間で同目録記載三の保険契約を、同明治生命との間で同目録記載四の保険契約を、また、原告新松(当時の商号「株式会社新松蔭組」)は、被告第一生命との間で別紙保険目録五記載の保険契約を、さらに、原告白川工業は、被告日本生命との間で別紙保険目録六及び七記載の保険契約を、それぞれ締結した。
(別紙保険目録記載一の保険契約の契約日については<書証番号略>、同目録記載四の保険契約の災害割増特約保険金額及び傷害特約保険金額については<書証番号略>、同目録記載五の保険契約の主契約保険金額については<書証番号略>、同目録記載七の保険契約の災害割増特約保険金額については<書証番号略>により、それぞれ認めることができる。その余の事実については争いがない。)
2 原告一郎の受傷(以下「本件受傷」という。)及び診療経過等
原告一郎は両眼を負傷し、福岡県行橋市所在の江頭眼科医院に運びこまれ、応急の眼処置を施行されたが、入院、手術及び長期の加療の必要があるため、北九州市八幡西区所在の産業医科大学病院に転院するなどして、次のとおりの診断、治療を受けた。
(一) 江頭眼科医院
(1) 診療期間 昭和六三年七月二三日
(2) 病名 両眼角膜穿孔創、外傷性白内障
(3) 治療 応急の眼処置
(二) 産業医科大学病院
(1) 診療期間
入院治療は、昭和六三年七月二三日から同年一一月七日まで(一〇八日間)。通院治療は、昭和六三年一一月一一日から平成元年五月三〇日まで(うち実治療日数一三日)。
(2) 初診時の病名 両穿孔性眼外傷
(3) 治療の経過
初診時、角膜を突き抜けてその奥にまで達した傷が、右眼に一か所、左眼に二か所あった。すなわち、右眼の角膜七時部に弁状の穿孔創があり、左眼の角膜七時部に三つの弁状でその中央部が前房まで達した穿孔創と五時部に脱出虹彩を認める穿孔創があった。
昭和六三年七月二三日午後七時四七分から午後八時四〇分までの間、両角膜縫合術、左脱出虹彩整復術施行。感染の兆候があったため術後に抗生剤投与を行うが、右眼は感染による障害が大であった。視力は、左右ともに光覚程度であった。
その後、右眼は、水晶体膨化し閉塞隅角緑内障となったため、昭和六三年八月三一日、右水晶体嚢外摘出術及び前部硝子体切除術を施行したが、感染による角膜障害が多大のため、水疱性角膜症となった。
左眼は、昭和六三年一〇月一四日、視力回復の目的で、左水晶体嚢外摘出術を施行した。
(この事実は、<書証番号略>、証人伊比健児及び同江頭俊博の各証言により認めることができる。)
3 現在の症状
右眼は、絶対緑内障、水疱性角膜症。左眼は、角膜白斑、後発白内障、黄斑部変性。
平成元年五月三〇日現在、右視力光覚弁、左視力裸眼一〇センチメートル指数弁・矯正0.02。今後、視力回復の見込みはない。
(この事実は、<書証番号略>、証人伊比健児の証言により認めることができる。)
二主たる争点
1 本件受傷が原告一郎の故意によるものであるか否か。
2 被告らの主張
(一) 免責約款
本件各保険契約における主契約保険並びに特約保険等については、いずれも「被保険者の故意」によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の約款が定められている。
(二) 被保険者である原告一郎の故意による負傷
(1) 原告一郎が、負傷の際に前方に転倒したとした場合に、顔面や瞼に切創、擦過創が一切なく、かつ、角膜創の深さが深くても七ないし八ミリメートル程度の浅いものにとどまるうえ、丁度うまい具合に約六センチメートル間隔の両眼ともに、しかも、うち一眼には直径約一一ミリメートルの黒眼の中に約4.5ミリメートルの間隔で二個の角膜創を負うことは経験則上あり得ないことである。そして、角膜創の傷口の形状は三角形の各辺が中へせり出したY字状であることからすれば、加害金属棒は、尖端が三角錘の手もみ錐であると推測される。
(2) 原告白川工業及び同新松は、それぞれ平成元年一一月六日、同月八日に銀行取引停止処分を受け、また、原告ら及び原告新松の代表取締役甲野二郎並びに原告一郎を前代表取締役とする有限会社白川興業(以下「白川興業」という。)は、極度額合計七億四九七〇万円の根抵当債務を負うなど、原告らは多額の負債を抱え資金的に苦しい立場にあった。
(3) 原告ら及び原告新松代表者甲野二郎は、被告ら並びに農業協同組合との間において、昭和五二年三月から平成二年九月一八日現在までに、本件係争中の保険契約以外に、別紙保険加入状況表記載1ないし23のとおり、途中、解約、失効したものを含め二三件もの多数及び高額の生命保険契約を連続的に締結しており、原告らの保険金に対する関心は非常に高いものがある。
(4) 原告一郎は、昭和五九年ころ糖尿病で入院治療した既往歴があり、昭和六三年九月二九日ころ高血糖値(四〇〇ミリグラム毎デシリットル以上)を示していたことからすれば、糖尿病疾患に伴う糖尿病網膜症の合併症に罹患していたことが推察され、特に、黄斑部の変成による高度の視力障害は糖尿病網膜症を原因とするものであり、同原告の本件受傷前の視力低下はかなり進行した状態であり、かつ、将来における視力回復の見込みは極めて困難な状況にあったことが推測される。
(5) 以上よりすれば、仮に、何らかの原因により原告一郎が両眼を負傷したとしても、それは同原告が故意により惹起したものである。
3 原告らの主張
原告一郎が、昭和六三年七月二三日午前九時すぎころ、原告新松の事務所所在地にある資材置き場において、廃材等を含む建築資材の整理を行っていたところ、バランスを崩し、前方に転倒した際、右廃材に刺さっていた針状若しくは釘状の金属棒が、同原告の両眼に突き刺さったものである。
そして、原告一郎の現在の症状は、本件各保険契約(特約を含む。)の保険金支払条件である高度障害に該当するところ、原告らは高度障害保険金の受取人である。
第三主たる争点に対する判断
一免責約款
<書証番号略>によれば、本件各保険契約における主契約保険並びに特約保険等については、いずれも「被保険者の故意」によって生じた傷害に対しては保険金を支払わない旨の約款が定められていることが認められる。
二本件受傷の日時、場所について
被告らは、<書証番号略>(江頭俊博医師作成の昭和六三年七月二三日付診療情報提供書)の現病歴欄に「昭和六三年七月二二日夜」との記載があるところから、本件受傷の日時、場所には、特定性が欠ける旨主張する。
しかしながら、<書証番号略>並びに証人江頭俊博、同甲野三郎(以下「三郎」という。)、同松浦美紀子、同利嶋津多代の各証言によれば、昭和六三年七月二三日午前九時前ころ、原告一郎は、同白川工業の事務所に出勤した後、右事務所から約三〇メートル離れたところにある原告新松(以下、商号変更前の株式会社新松蔭組を含めて「原告新松」という。)の資材置き場に行ったこと、その直後に原告一郎がその実弟である三郎の運転する乗用車に乗せられ病院へ向かったこと、原告一郎は、午前九時三〇分ころ、江頭眼科医院で両眼治療のために受付したことを認めることができる。
そして、七月二二日夜に両眼受傷して翌日の午前九時三〇分ころまで治療せずに放置するとは考え難いしその必要もないのであって、したがって、原告一郎は、昭和六三年七月二三日午前九時ころ、原告新松の資材置き場(以下「本件現場」という。)において受傷したものと認めることができる。
三受傷までの経緯、受傷の態様について
1 受傷までの経緯について
原告らは、原告一郎が、廃材等を含む建築資材の整理を行うために本件現場へ行き、整理を始めたところで両眼を受傷したと主張する。
そして、証人三郎並びに原告一郎も「昭和六三年七月二二日の夕刻及び翌二三日午前九時前ころに、原告一郎から三郎が電話連絡を受け、本件現場にある廃材等を含む建築資材の整理を三郎と原告一郎の二人で行うこととし、同日午前九時ころ、まず原告一郎が、次いで三郎が本件現場へ行き、廃材等の整理を始めた」として、いずれもこれに副う供述をしている。
しかしながら、証人三郎の証言並びに原告新松代表者甲野二郎、同一郎本人各尋問の結果によれば、本件現場である資材置き場並びに右廃材等を含む建築資材は原告新松の所有するものであること、原告新松代表者甲野二郎は、七月二二日夕刻、原告一郎に原告新松の事務所前で会ったが特に言葉を交わさなかったことが認められる一方、本件全証拠によるも右廃材等の整理に関しては最も当事者的立場にある甲野二郎の直接的な指示がされたことは全く窺われない。
また、<書証番号略>並びに原告新松代表者甲野二郎尋問の結果によれば、昭和六三年七月二二日午後三時四〇分から翌二三日午前一〇時二五分にかけ、福岡県下において大雨、洪水注意報ないし警報並びに落雷注意報が発表になっており、七月二二日午前〇時から翌二三日午後二時までの総雨量は行橋で一六九ミリメートル、行橋市西泉所在の行橋地域気象観測所の二三日午前七時の毎時降水量が四四ミリメートルをそれぞれ記録し、局地的豪雨のおそれありと予報されていたこと、同日午前八時には同じく毎時降水量〇ミリメートルと観測されたこと、本件現場の廃材等を置いていた場所には屋根がなかったことが認められ、行橋市と本件現場のある苅田町とは隣接していること(この事実は当裁判所に顕著である。)から、本件現場付近における天候もほぼ行橋市におけるそれと同様であったことが推認されるところ、右のような気象状況下において二二日夕刻の段階で翌日の廃材等の整理の実施を適確に指示し得たのか疑問が残るし、二三日午前九時前ころには雨が降っていなかったとしても、廃材や足場等が水に相当濡れるなどして整理作業がより困難なものとなっていたものと考えられ、それにもかかわらず右整理作業をする可能性や必要性があったのか疑問があるといわざるを得ない。
さらに、証人三郎の証言によれば、本件現場の廃材等を撤去するに当たっては、昭和六三年七月二五日及び翌二六日の二日間で延べ一〇人の作業員を終日投入する必要があったこと並びに廃材の量は二トン車で十数台分もあったことが認められるところ、他の作業員を手配したり作業用の車両、機械等を準備することなく、原告一郎と三郎の二人だけで廃材等の整理作業をするというのは、不自然であるといわざるを得ない。
以上よりすれば、原告一郎及び三郎の二名だけで、廃材等の整理をする目的をもって、本件現場に行き、廃材の整理を始めたとする証人三郎並びに原告一郎の前記供述部分は、直ちには信用し難いものといわざるを得ない。
2 加害物件について
(一) 原告らは、原告一郎の両眼に突き刺さったものは、廃材に刺さっていた針状若しくは釘状の金属棒であったと主張する。
(二) まず、証人三郎は、「加害物件は、現存していない。というのも、三郎は、原告一郎が受傷した直後に加害物件と思われるものを確認したものの、別段とっておこうと思わず、七月二三日に産業医科大学病院受診した当日かその翌日の夕刻に、従業員に指示して廃材とともに処分したからである」旨供述する。
しかしながら、原告一郎の両眼は、江頭眼科医院を受診した段階ですでに外傷性白内障の兆候を示していたのであって、細菌の有無及びその種類の検査のために加害物件を保存、提供すべく配慮するとか、保険金の請求に備えて現場を保存し、少なくとも加害物件や現場の写真を撮影しておくのが通常であると考えられることからすれば、右措置をとることなく早急に加害物件を処分しなければならない特段の必要性に乏しいことをも併せ考えると、右供述部分は直ちには信用し難いものといわざるを得ない。
(三) 次に、加害物件の種類、形状について、証人三郎は、「パネル(型枠)に長さ二ないし五、六センチメートルとまちまちの釘が五ないし一〇センチメートル間隔で六、七本ほど打ち付けられてあった」旨、前記主張に副う供述をしている。
<書証番号略>及び証人伊比健児、同江頭俊博の各証言によれば、原告一郎の初診時に受傷状況を江頭眼科医院や産業医科大学病院で医師らに説明したのは、原告一郎ではなく、専ら三郎であったこと、昭和六三年七月二三日付で作成された産業医科大学病院救急部看護記録(<書証番号略>)によれば、「両眼にくぎをさし」との記載中「くぎ」という文字を二本線で抹消したうえで「板」と訂正されていること、他方、前同日付で作成された産業医科大学病院眼科外来診療録(<書証番号略>)によれば「釘が二、三本突き出ていた板に(中略)あたり釘が両眼に突きささった」と記載されていることが認められる。
こうしてみると、本件受傷後からの加害物件の種類、形状に関する三郎の右両病院における説明及び前記供述は、いずれも抽象的であるのみならず、基本的な部分で一貫性に欠けており、いずれを信用すべきか疑問があるといわざるを得ない。しかも、原告一郎本人尋問の結果によれば、通常、作業の安全確保のために建築現場で釘等を外してから資材置き場等に資材、廃材等を運搬していることが認められるから、そもそも本件現場の型枠には釘等の突出物があったこと自体甚だ疑わしいのであって、証人三郎の加害物件の種類、形状に関する前記供述部分は信用することができない。
そして、加害物件に関する原告らの主張が、当初訴状において針状のものとされていたものが、途中、鉄丸釘の可能性もあるなどと変遷していることも併せ考えると、後記認定のとおり中央の穿孔創の周囲に弁状に切れ目があるという角膜創の形状からして、加害物件は、針状のものではなく、それよりやや太い釘状の鋭器であると推測されるものの、結局、具体的には特定することができないといわざるを得ない。
3 受傷態様について
(一) 原告らは、廃材に刺さっていた針状若しくは釘状の金属棒が原告一郎の両眼に突き刺さったのは、同原告がバランスを崩して前方に転倒したからであると主張する。
原告一郎も、「高さ三〇メートルほどに積み上げられた鋼矢板に右足を掛けて上に上がろうと体重をかけたところ、右足が後方に滑り、上体が前に倒れ、垂木か矢板の上に手をついて支えたものの、足元からズーンとくるような感じがして、両眼を負傷した」旨、これに副う供述をしている。
しかしながら、<書証番号略>並びに証人伊比健児、同江頭俊博の各証言によれば、両眼受傷直後の原告一郎の顔面や瞼には一切傷がなかったこと、本件受傷当時の原告一郎の体格は身長一六八センチメートル、体重79.5キログラムであったこと、角膜は寒天かプリンのような比較的柔らかいものであること、角膜創の状態については、角膜創の深さが深くても約一センチメートル以内しかないこと、その中央に穿孔創があり周囲が弁状になっているところ、右眼角膜七時部の弁は七時方向と一時方向の二つの弁に分かれており、左眼角膜七時部の弁はY字型の三つの弁に分かれており、ともに偏りや乱れがないことが認められる。また、右認定の角膜創の状態から、加害物件が刺し入った創口(刺入口)と抜け去った創口(抜去口)とはほぼ同一であり、加害物件は角膜の表面から深くても約一センチメートル以内で眼球内への侵入を止め、刺さったままの角度で抜けたものであることが推認される。
原告一郎の供述する受傷態様のとおりに、身長一六八センチメートル、体重79.5キログラムの人が、前方に転倒したはずみで体重がかかり釘状の鋭器に両眼が突き刺さって偶発的に角膜創が生じたというのであれば、寒天かプリンのような比較的柔らかい角膜に生じた創には、刺入口と抜去口とが一致しないため偏りや乱れが生じ、また、釘状の鋭器も相当程度深く刺さるはずであるし、釘状の鋭器あるいはそれを支持固定している型枠等に前額部、鼻部、頬部、口唇部、顎部等顔面の一部や瞼が当たるなどして傷害を負うのが通常であると考えられるのに対し、先に認定したように、原告一郎の両眼の角膜創は、刺入口と抜去口とがほぼ一致し偏りや乱れがなく、顔面や瞼に一切の傷がないのに深さ約一センチメートル以内にとどまっているのであって、原告一郎の受傷態様に関する前記供述部分は不自然、不合理なものであり、信用することができない。
(二) 原告らは、瞼に傷がないにもかかわらず角膜を負傷した事例として、幼稚園児が投げた木片がその友人の片眼に当たったというもの、スキーのイヤーパッドの柄が折れたはずみで片眼に当たったというもの、矢が子供の眼に刺さったというもの、たがねを叩いたはずみで鉄片が飛んで眼に当たったというものなどがあるとの証人伊比健児及び同江頭俊博の各証言からして、顔面及び瞼が無傷で、角膜創の深さが七ないし八ミリメートル程度にとどまることは経験則上あり得ないことではない旨主張する。
しかしながら、右事例は、いずれも静態している眼球のほうに加害物件が飛び込んできたものであるうえ、負傷したのは片眼のみであって、原告らが本件受傷態様として主張するような固定している加害物件のほうに人が転倒して眼球が当たり、両眼同時に穿孔創を負った事態とは、全く事例を異にするものである。
四受傷後の経過について
1 <書証番号略>並びに証人伊比健児、同江頭俊博、同松浦美紀子、同三郎の各証言及び原告新松代表者甲野二郎、同一郎本人尋問の結果によれば、以下のような事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
すなわち、本件現場からは三郎の自宅より原告白川工業の事務所のほうが近接した位置関係にあり、右白川工業事務所には、本件受傷前に、松浦美紀子及び利嶋津多代らが出勤しており、原告一郎、松浦美紀子らが各所有する乗用車もあった。しかし、原告一郎の受傷後、三郎は、誰にも本件受傷の事実を知らせることなく、自宅に乗用車を取りに行き、原告一郎を乗せて、本件現場より約四〇〇ないし五〇〇メートル離れたところにある原告一郎経営の当時休業中であった白川亭へと行った。原告一郎は、白川亭で降ろされて建物内に入り、三郎は、乗用車で自宅方向へと戻りかけた。三郎は、その途中で乗用車を運転していた実藤幸に会い、同人を伴って白川亭へと戻った。右白川亭には、乗用車で三郎を追って来た松浦美紀子もいた。三郎は、原告一郎の家族関係者らに電話等で本件受傷の事実について連絡することなく、原告一郎、実藤幸、松浦美紀子の三名とともに江頭眼科医院へと向かい、午前九時三〇分ころ到着、ほどなく原告一郎は江頭俊博医師の診察を受けた。その際、江頭俊博医師が原告一郎に受傷状況等について質問するも、同原告はこれに一切答えず、三郎がその説明に当たった。江頭医師は、産業医科大学病院に急患の電話連絡を入れ、原告一郎らに同病院へ行くよう指示した。原告一郎ら四名は、午前一〇時三〇分ころ江頭眼科医院を出て、再び白川亭へ戻り、家族の者に連絡した。そこへは、午後〇時ころに電話で本件受傷の知らせを聞いた甲野二郎のほか、古谷加代子、中筋某も集まった。松浦美紀子を除く原告一郎ら六名は、産業医科大学病院へと向かったが、途中、原告一郎の妻甲野秀子と会って合流し、ドライブインで食事をするなどした。産業医科大学病院には、午後一時ころ到着し、原告一郎は、伊比健児医師の治療診察を受け、その際、受傷状況について質問を受けるもこれに答えず、三郎が専らその説明に当たった。
2(一) 三郎が自宅へ乗用車を取りに行ったことについて
前記認定のとおり、本件現場からは三郎の自宅よりも原告白川工業事務所のほうが近接しており、右事務所には原告一郎らの乗用車があったのであって、証人三郎の供述によれば本件現場から同人の自宅までは歩いて一分の距離があったのであり、三郎が、本件現場から大声を上げるなり右事務所へ行くなりして右松浦らに本件受傷の事実を知らせて援助あるいは救助を求めるとともに、右事務所にあった乗用車を利用して病院へ向かうことのほうが、原告一郎の保護にとって容易、迅速、確実であるにもかかわらず、右措置をとることなく、自宅へ乗用車を取りに戻り右車両により原告一郎を搬送しようとした行動には、不自然、不合理なところがあるものといわざるを得ない。
(二) 原告一郎と三郎が病院へ直行せず、白川亭に立ち寄ったことについて
この点につき、三郎は、原告新松代表者甲野二郎に本件受傷の事実を知らせるべきであると思い、白川亭に公衆電話があることを思い出して立ち寄ったと弁解する。
しかしながら、前記認定のとおり、三郎は白川亭に始めに立ち寄った段階では原告新松代表者甲野二郎ほか同一郎の家族関係者らに電話連絡をしていない。
三郎は、電話連絡ができなかっのは、一〇円玉がなかったからである旨更に弁解する。
しかしながら、前記認定のとおり、白川亭には、原告一郎、三郎のほか、実藤幸、松浦美紀子らもおり、乗用車も三台あったのであって、一〇円玉が一切なかったとは到底考えられず、かえって、江頭眼科医院受診後に右四名で再び白川亭に戻った際には、連絡を受けて原告新松代表者甲野二郎らが白川亭に来たことからして、家族関係者らに電話連絡することができたことが推認されるのであって、一〇円玉がなかった旨の弁解は全く信用することができず、結局、連絡のために白川亭に立ち寄ったとする右弁解は信用することができない。
そして、可能な限り早急に病院で治療させることが通常であって、また、三郎自身自家用車で病院に行くよりも救急車を呼ぶほうが時間がかかると思ったので救急車を呼ばなかった旨供述していることに照らせば、原告一郎及び三郎が病院に直行せず白川亭に立ち寄った右行動は、不自然、不合理なものといわざるを得ない。
(三) 産業医科大学病院へは、江頭眼科医院から急患の電話連絡により紹介されたにもかかわらず、直行することなく、江頭眼科医院を出て再び白川亭へと戻り、甲野二郎らを呼び寄せた後、そこから産業医科大学病院へ向かう途中で食事のためにドライブインに立ち寄ったという一連の行動については、視力保全回復のために可能な限り両眼の早期治療を図ろうとするのが通常であることからすれば、到底了解困難なものであって不合理なものといわざるを得ない。
3 以上からすれば、原告一郎らの右受傷直後からの一連の行動は、不慮の事故によって両眼角膜穿孔という重大な傷害を負った者のとるべき行動としては、不自然、不合理なものであるといわざるを得ない。
五負債状況について
1 <書証番号略>、証人三郎の証言によれば、以下のような事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
すなわち、昭和六一年八月一日以前において、原告一郎、同新松及び同白川工業ら三名を債務者とした借入れは、根抵当権極度額にして四億四一七〇万円であり、原告一郎が昭和六一年九月一五日まで代表取締役をしその後も取締役をしている白川興業を債務者とした借入れは、根抵当権極度額にして三億円であり(以下、原告一郎、同新松、同白川工業及び白川興業を総称して「原告ら関連会社」という。)、原告ら関連会社の負債総額は根抵当権極度額にして七億四一七〇万円であった。さらに、昭和六三年七月ころにおいて、原告一郎、同新松及び同白川工業ら三名を債務者とした借入れは根抵当権極度額にして五億一一七〇万円となっており、原告ら関連会社の負債総額は根抵当権極度額にして八億一一七〇万円となっていた。
さらに、原告一郎の経営する料理店白川亭は昭和六三年七月当時休業中であったほか、原告白川工業は平成元年一一月六日に、同新松は同月八日に、それぞれ手形不渡りのため銀行取引停止処分を受けた。
2 右認定事実に照らせば、原告ら関連会社の経営状態は、昭和六三年七月ころ、危機的状況に陥っていたものと推認することができる。
六保険契約の締結状況について
1 争いのない事実並びに<書証番号略>、証人利嶋津多代の証言及び原告一郎本人尋問の結果を総合すると、次のような事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
すなわち、原告らは、別紙保険契約目録記載一ないし七のとおり、昭和六一年八月一日から昭和六三年四月一日までの間に本件各保険契約を締結した。保険金額は、原告一郎受取人のものとしては災害入院特約金及び手術給付金付疾病入院特約金を除いても合計四億七〇〇〇万円、同新松受取人のものとして合計一億円、同白川工業受取人のものとして合計三億六〇〇〇万円、原告ら三名の保険金総額は九億三〇〇〇万円である。一か月当たり払い込むべき保険料は、別紙保険契約目録記載一の保険契約については七万一〇〇〇円、同目録記載二の保険契約については五万二六一〇円、同目録記載三の保険契約については五万四三六〇円、同目録記載四の保険契約については二万〇二四五円(右一ないし四の保険契約についての合計は一九万八二一五円)であり、同目録記載五の保険契約については六万二八〇〇円、同目録記載六の保険契約については九万五八五〇円、同目録記載七の保険契約については一一万八七〇〇円(右六及び七の保険契約についての合計は二一万四五五〇円)であるのに対して、本件受傷当時の原告一郎の月収は、同白川工業から二〇万円、同新松から一〇万円、合計三〇万円であった。
2 原告らは、原告一郎は本来保険契約を好んでいなかったにもかかわらず、友人、知人の度重なる勧誘を断り切れずに保険に加入したものである旨弁解する。
証人利嶋津多代も「原告一郎は保険を嫌うほうである。別紙保険契約目録記載一及び二の保険契約については、苅田町町議会議員の紹介で宮崎某により、同目録記載三の保険契約については若松某により、同目録記載六及び七の保険契約については竹村輝子により、それぞれ再三勧誘されたために加入した。」旨、これに副う供述をしている。
しかしながら、証人利嶋津多代の証言によれば、竹村輝子は単なる利嶋津多代の知人にすぎず、利嶋津多代の証言及び原告一郎の本人尋問の結果によるも原告一郎が保険契約を好んでいなかったとする具体的根拠や保険への加入を拒絶することができないほどの執拗な勧誘状況が明らかではなく、他方において、証人利嶋津多代は、利嶋の経理の許す範囲で保険契約の締結の有無、内容等については一任されていたと供述しており、原告一郎も利嶋が全て保険契約締結の権限を持っており、原告一郎自身が保険契約を締結したことはないと供述しているのであって、これらの供述のとおりであれば、原告一郎の好き嫌いにかかわらず、利嶋津多代の判断で保険契約を締結することができたはずであり、結局、右弁解は信用することができない。
七まとめ
そもそも、顔面及び瞼に一切の傷がないにもかかわらず、両眼角膜に穿孔創が生じていたという傷害の状況からして、経験則上、原告一郎の受傷が偶発的な事故によるものとは考え難いところ、原告ら関連会社の借入れが、昭和六一年八月一日以前において、根抵当権極度額にして総額七億四一七〇万円あり、昭和六三年七月ころには、同じく総額八億一一七〇万円となるなど、原告ら関連会社の経営状態も危機に陥っていたという状況において、原告らは昭和六一年八月一日から昭和六三年四月一日までの比較的短期間のうちに重複して高額の保険に加入したのであり、その保険料も原告一郎の収入と比較して過大であるうえ、本件各保険契約の保険金総額も、九億三〇〇〇万円と右原告ら関連会社の借入れ総額を補って余りある金額である。のみならず、本件受傷後の原告一郎及び三郎らの行動が偶発的事故後のものとしては余りに不自然、不合理なものであることを併せ考えると、本件受傷については、原告一郎らによる何らかの作為の存在を推認せざるを得ない。
そして、本件現場に居合わせたのは原告一郎と三郎のみであり、本件受傷の態様、加害物件、受傷までの経緯に関する直接的な証拠は右両名の供述しか存在しないところ、先に説示したとおり、右に関する両名の各供述部分は信用することができないものであり、原告ら主張のとおりの態様で発生したものと考えることには多大の疑問が残るし、他に原告らにおいて首肯するに足りる受傷原因も明らかにされていない。
してみると、原告一郎は、原告ら関連会社の負債を解消するために多額の保険金取得目的であえて両眼に受傷したものと推認することができ、右傷害の結果が、両眼ほぼ失明という重大なものであることを考慮に入れてもなお、他にこの推認を妨げるに足りる事情が見当たらないことから、被告ら主張のとおり、本件受傷は被保険者である原告一郎の故意によって作出されたものと推認するほかはないというべきである。
八以上のとおりであって、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないことが明らかであるからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官寒竹剛 裁判官太田雅也 裁判官加藤亮)
別紙保険目録
一 契約日 昭和六一年一一月一二日
証券番号 (一〇二)一七八八―七五〇六
保険種類 定期保険
契約者 甲野一郎
被保険者 甲野一郎
受取人 甲野一郎
保険者 三井生命保険相互会社
保険金額 定期保険 一億円
災害割増特約 一億円
二 契約日 昭和六三年四月一日
証券番号 (一〇三)一八八三―八二九一
保険種類 定期保険特約付終身保険
契約者 甲野一郎
被保険者 甲野一郎
受取人 甲野一郎
保険者 三井生命保険相互会社
保険金額 終身保険 三〇〇万円
定期保険特約 五七〇〇万円
災害割増特約 五〇〇〇万円
傷害特約 一〇〇〇万円
三 契約日 昭和六三年一月一日
証券番号 (二五九)四六〇一二三
保険種類 定期保険特約付普通終身保険
契約者 甲野一郎
被保険者 甲野一郎
受取人 甲野一郎
保険者 朝日生命保険相互会社
保険金額 主契約 五〇〇万円
定期保険特約 四五〇〇万円
災害割増特約 四五〇〇万円
傷害特約 五〇〇万円
災害入院特約 日額五〇〇〇円
手術給付金付疾病入院特約 日額五〇〇〇円
四 契約日 昭和六二年六月一日
証券番号 三〇―六九〇五七一
保険種類 ダイヤモンド保険ライフ
契約者 甲野一郎
被保険者 甲野一郎
受取人 甲野一郎
保険者 明治生命保険相互会社
保険金額 主契約 三〇〇万円
定期保険特約 二七〇〇万円
災害割増特約 一五〇〇万円
傷害特約 五〇〇万円
五 契約日 昭和六一年八月一日
証券番号 八六〇八―〇四九一三五―八
保険種類 新・特別終生安泰保険
契約者 株式会社新松
被保険者 甲野一郎
受取人 株式会社新松
保険者 第一生命保険相互会社
保険金額 主契約 五〇〇〇万円
傷害特約 一〇〇〇万円
災害割増特約 四〇〇〇万円
災害入院特約 日額一万円
疾病特約 日額一万円
六 契約日 昭和六一年一二月一日
証券番号 三五一―三〇六二六三
保険種類 終身保険
契約者 白川工業有限会社
被保険者 甲野一郎
受取人 白川工業有限会社
保険者 日本生命保険相互会社
保険金額 主契約 七〇〇万円
定期保険特約 九三〇〇万円
災害割増特約 九〇〇〇万円
傷害特約 一〇〇〇万円
七 契約日 昭和六二年八月一日
証券番号 三五一―一五五三七〇二
保険種類 終身保険
契約者 白川工業有限会社
被保険者 甲野一郎
受取人 白川工業有限会社
保険者 日本生命保険相互会社
保険金額 主契約 一〇〇〇万円
定期保険特約 一億四〇〇〇万円
災害割増特約 一〇〇〇万円
別紙保険加入状況表<省略>